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通い慣れた道

  • 執筆者の写真: 真璃代 片上
    真璃代 片上
  • 2023年7月12日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年10月12日

それは突然やってきました…


朝、病棟の前の自動扉の前に立った時、立っていられない程の吐き気とめまいで座り込んでしまいました。

また、片耳で聞こえる音がくもって反響し、なかなか治らず、院内の耳鼻科を受診しました。耳鼻科では原因は不明、髄膜炎の既往があるため、脳神経内科も受診することになり、MRIを受けました。脳に異常はありませんでした。


初めて起きる症状に恐くなり、自分の身体はどうなってしまったんだろうと不安でした。

しかし、それからしばらく症状はあるものの、なんとか出勤していましたが、次第に、朝電車に乗ろうとすると、駅のホームでも症状が出るようになってしまい、欠勤することも増えてきました。


帰宅時に駅を間違えてしまったり(気づいたら知らない駅にいたり)、駅のベンチに座ったまま動けず何時間か経過していたり、帰れなくなって友人に迎えにきてもらったり…異常な行動も見られるようになりました。


友人や上司の勧めで、勤務していた病院の精神科を受診することになりました。自律神経失調症との診断で、担当医に少し休職してはどうかと提案され、2〜3週間程休職することになりました。


職場に迷惑をかけることになってしまい、暫くは休んでいても憂鬱な気分が抜けませんでしたが、時間が経ってくると、婦人科系疾患もあるし(多嚢胞性卵巣症候群と高プロラクチン血症も指摘されており、月経不順、PMSもひどかった)、これを期にしっかり食事、睡眠など基本的な生活を見直して立て直そう!と思うようになりました。

やっと自分の身体の声に耳を傾けるようになったのです。


時間にゆとりができたので、アロマの勉強も少しずつすすめていきました。この頃はベルガモットとクラリセージの香りがとても心地よく、セルフマッサージの本を購入し(ニールズヤードのスクールで講師をしていた栗山先生の監修した本でした)、自分でブレンドオイルでハンドやフットマッサージをしたりしていました。


忙しいを理由に、食事も外食や惣菜ばかりで、もともと野菜もあまり好きではなく、ほとんど食べていなかったので、意識的にとるようにし、毎日自炊をするようになりました。


夜勤をしないので、起床や就寝時間も一定になり、だんだん身体も楽になってきました。気づくと、聞こえにくかった耳も普通に聞こえていました。電車でも症状がでることは特になく、

普通に生活もできていました。


休職期間中、これからの自分の生き方について考えました。またあの生活に戻れば、次は完全に壊れてしまうな…とも思い、あの職場でまた働く自分の姿は、もう想像できませんでした。

退職しよう、そしてしばらく産科からは離れたい、そう思いました。


上司に退職の意思を伝え、面談をしました。久しぶりに会う上に退職の話をしなければならないので、気は重く、緊張していました。きつい言葉も覚悟していました。

しかし、上司は、私の話を親身になって聞いてくれ、涙ぐみながら、あなたはあなたの道を行けばいいよ、休んで気持ちが楽になって良かった、顔色もずっと良くなったねと言って肩を撫でてくれました。私は、涙が止まりませんでした。


帰り道、新卒から六年間、通い慣れた駅から病院までの道が、なんだか違って見えたのを今も鮮明に覚えています。

ふと見上げた空が青くて、そう言えば毎日この道は下を向いて歩いたことしかなかったなと思いました。


これからどうするかな…

何も決まっていないのに、なぜか不安はありませんでした。

 
 
 

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